ノスタルジック忘年会。

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昨日は古いもの好きの先輩方と一緒に忘年会。

場所は谷中。

夜の谷中は人通りがとても少ない。
しかし、なんとも言えないノスタルジーな雰囲気が町全体を包んでいる。

とても不思議な町だ。

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お店は特に決めていなかったが、フラフラと歩いてなんとなく気になる店に入った。

海鮮居酒屋だろうか。

カウンター席のみの店内は三人入ればほぼ満員状態の狭さだ。しかし、その狭さがとても落ち着く。

店の中から外を眺めてもほとんど人は歩いていない。かなり隠れ家的な店だ。
しかもコスパが良く、料理も美味い。かなりの大当たりだった。

集まった三人は、古いものが好き。という共通点がある。LINEグループで普段ちょこちょことやり取りをしているが、会うのは半年ぶりくらいだった。

しかし、話は全く途切れないから不思議だ。

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話の内容は様々だ。
美味いベーグル屋の話。いらなくなった70年代のグラスのロゴの話。隠れ家的な名店の話。骨董市の話。古着の話。美術館の話。好きな町の話。オールドミュージックの話。レトロな喫茶店の話。LINEグループのメンバーの話。仕事の話。好きな風景の話。日本酒の話。これを飲むと悪酔いしてしまうんだよ的な話。路地裏の話。台東区の話。酉の市の話。

もう、次から次へと話が出ては止まらない。三人とも共通してノスタルジーな雰囲気が好きなので会話の雰囲気もゆるやかに流れて行く。

1軒目の料理が非常に美味だった。
マグロの脳天刺し、しじみの酒蒸し、エビの丸焼き、エリンギのチーズ焼き、鰯刺し、納豆厚揚げ、などなど、散々食って飲んで一人3000円弱だったから驚いた。安い。美味い。最高だ。

割と酔っ払いながら2軒目の店を探した。外は寒い。

去年見つけた根津にあるbarに向かった。
店内は70年代のレコードが流れているこれまたノスタルジックな雰囲気でスイカのカクテルが美味い事を覚えていたのでそこに向かった。

店の外からはなにやら歌声が聞こえる。

ライブだろうか。

店内を覗くと、狭い店内にかなりの人が入っており、ライブで満席のために入る事が出来なかった。

かなりいい雰囲気で、今度こそは絶対に行きたいと思う。ますますスイカのカクテルが飲みたくなった。

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仕方がないので、近くの店を探した。

路地裏にラーメン屋だとか、居酒屋、焼肉屋が点々とある。

中でも雰囲気のいいbarを見つけそこに入った。店内はカウンターとテーブル席が2つ。久しぶりにbarに行ったために、私は少しばかりドギマギした。

アメリカンな雰囲気の店内では80年代の洋楽が静かに流れていた。店の天井はヤニで黄ばんでいる。
個人的になかなか嫌いではない良い雰囲気を醸し出していた。

アメリカン風なbarなのに、なぜか牡蠣がおススメらしく、牡蠣鍋を三人で突いて食べた。なんと、抜群に美味い。大当たりだ。

どうせなら変わったお酒が飲みたい。という事でそれぞれちょっと変わった酒を頼んだ。

これまた美味だった。

2軒目でも相変わらず話は続いた。
あーでもないこーでもない。と三人でしゃべり続け気づいたら24時を回っていた。とゆうことで、今回はこの辺でお開き。

たまにしか会わないけど、こうゆう仲間を大切にしたいと思っている。

また飲みたいなぁ。

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ノスタルジックな夜だった。

 

常識という縛り。

私は、シェアハウスに住んでいる。
ここは、都内でも比較的家賃は安く生活費をかなり抑えることが出来る。

しかし、何故だろうか。お金のない人が非常に多い。

ここは若い世代が非常に多い。
大学を辞めてバイト生活をしている若者や、上京してきて新しい職についた若者、何をやっても続かず何故かお金がない人など様々だ。

お金を得る方法はいくらでもある。

 

・就職をする。

・起業をする。

・副業をする。
・はたまた一発逆転で大儲けをする。笑

 

など、お金を手に入れる方法は様々あるとは思うがお金がない人の共通点はこうだと思う。

 

選びすぎる。
日本には、たくさんの仕事がある。しかし、お金を手に入れる時に選びすぎてしまい、考えすぎてしまい動けなくなる人は非常に多い。
個人的な考えになるが、たくさんの仕事の中から自分に合うものを見つけるには様々な事を試してみるしかないと思う。

とりあえずやってみるのだ。

痛い目にあってしまえはいいのだ。

それを経験することにより、情報量が増える。と思えば失敗ほどありがたいものはないのではないだろうか?と私は考えている。
もちろん当たり外れはあると思うがその過程の中で心が折れてしまう人は非常に多い。
しゃあ心が折れてしまう原因はなんなのだろうか。

 

常識という縛り。
これをしてはいけない。あれをしてはいけない。これをするのはダサい。これをやるとあの人になんて思われるか。

客観的に見てみると上記ののような結構どうでもいい事で悩んでいる人も非常に多い。

自分の意思ではなく、別にどこにいるわけでもない幻の他人を自分で作り上げてしまい自分を自分で縛っているのではないだろうか。故に決断ができない。動けなく。とゆう呪縛にかかる。

つまり自分に軸がないのだ。

自分で決める。というシンプルな行動を取らない事が当たり前になりすぎて、なにかを選ぶ時に迷ってしまうのだ。
「これが上手くいかなかったらどうしよう。」とか
「これで失敗したらどうしよう。」とか

このよく分からない幻想により、まだ起きてもいない事を勝手に想像して自分で自分の足を止めてしまうのだ。

このパターンは非常に多い。

ではどうしたらこのパターンから抜け出せるのだろうか?

 

意味づけを変える。
何かを始めようとする時に、
これをしてはいけない。あれをしてはいけない。これをするのはダサい。これをやるとあの人になんて思われるか。

という幻想が必ず湧いてくる。

ここで意味づけを変えるのだ。

例えばこんな風に。
・これをしても別に死なない。
・あれをしても別に誰かに怒られることもない。
・これをしたらダサいかもしれないけど、別に誰かに見せるためにやるわけではない。
・これをやるとあの人になんて思われるか別に自分には関係はない。

全部自分の都合のいいように変えるのだ。
初めは違和感を感じるかも知れないが、慣れてくるとそれが当たり前になってくる。
考え方を変えると行動が変わり、物事の解釈が変わる。
すると、世界の見え方が変わる。

些細なことかもしれないがなんのリスクもないので試してみてはいかがだろうか。

 

バランスを取る。

ここ数日、働きまくって、動きまくっていた。

さすがに疲れたので、今日はなんの意味もないことをしていた。

無駄に散歩する。
腹減ってないのに昼から焼き鳥食う。
めっちゃ寒いのに外でビール飲む。
ひたすらYouTube見る。
見飽きたら寝る。

なんの意味もない事をしていると、微妙に罪悪感にかられることもあるが、これが今の自分にとっては心地いい物なので、完全に堕落しようと思う。

何もやる気がしないし、どこにも行きたくないので、今日は腐りまくって自分自身のバランスをを取ろうと思う。

そのままの自分でいる事。

昔からどうもカッコつける事が出来ない。
外見だけの美人とか、金持ちとか、やたら綺麗なお店とか、中身のない会話とか、見え見えの嘘とか、ありきたりな敬語とか、愛想笑いとか、

そうゆう人とか、場所に遭遇すると、途端に息が詰まる。そんな事を最近思い出した。

私は昔からそんなに綺麗な環境で育っている訳ではないので、ちょっと狭かったり、汚かったり、ちょっと抜けていたりする人といる時の方がとても心が落ち着く。

高校では柔道部の汗臭い汚かった部室にいる時がとても落ち着いた。
社会人になって自衛隊にいた時は、山の中の茂みに隠れていた時もけっこう居心地が良かった記憶がある。

今もその感覚はあまり変わらない。

広すぎるリビングは落ち着かないし
小綺麗な街並みもあまり興味がない
綺麗すぎる女性の前では緊張するし
桁外れの金持ちとか、有名な人とかに会うと苦しくなる。

自分を変えたいなら、環境を変えろ。とかいう事をよく聞くんだけど、自分の居心地の良さを消してまで変わろうととはどうしても思えない。

無理して自分を変えようとするから変な事が起きたりするんだと思う。

無理に自分を変えようとするよりも大切な事は「そのままの自分でいる事」だと思う。

今の自分よりも良くなろうとするあまりに、今まで自分が大切にしてきた価値観や友達や環境を無理して捨てる必要は無いと思う。

考えてみれば今の自分を作ってこれたのもその価値観であり、友達であり、環境だ。

だから、無理して手放す必要もそれほど無いと思う。

幼い頃に、自転車に乗る時に、突然補助輪を外された時どんな気持ちだっただろうか。
幼い頃に、一人で初めて電車に乗った時、どんな気持ちだっただろうか。

初めて傷ついた時。
初めて不安になった時。
初めて恐怖を覚えた時。

どんな気持ちだっただろうか。

その時、そばにいた人は、自分が大切にしていたものを突然自分から奪ったりしただろうか。

きっとそんな事はなかったはずだ。

 

 手放す時期が必ず来る。

 

そんな事を突然思った。

人が集まる空気を作る。

冬が近い。乾燥肌の私の右手が見事にささくれて来ている。自慢のバセリンを塗りたくっているのだが全く効果がない。しかし塗っている。

さて。

シェアハウスに住んで2年目に入った。
さまざまな人が出たり入ったりを繰り返している。何故かは分からないが、男性の移動が多く、女性はほとんど動かない。一年間の間に、男性の移動は7名で、女性の移動は1名だ。

ずいぶん前に、みんなと仲良くなろう!と思いシェアハウス盛り上げ計画を実行した。

私がはじめに手をつけたのは、場の空気感作りだった。

部屋が分かれているために、共用スペースに人が集まらない限り会話が出来ない。だから家にいる大半の時間を共有スペースで過ごしていた。

私の経験則からいうと、盛り上げよう!とか、仲良くなろう!と意気込んで積極的に距離を縮めようとすればするほど、距離は遠くなる。と読んでいた。

なので、遠間からボソボソ。と話しかけるような会話をしばらく続けた。

あついねー。とか
今日は休み?とか
おお、髪切ったのか。とか
これ、食う?とか

そんな感じだ。

そんなしょうもない会話を毎日続けることによって徐々に会話は広がる。

会話は続けよう!とすると続かない。
無理に力を入れない事が重要だ。

そんな事を1〜2週間、淡々と続けた。

すると、あちらから、そちらから話しかけてくる人がポツポツと集まってくるようになった。
すると、話したことない人同士が会話をするようになり、場の雰囲気が良くなった。

私の読みは当たった。

しょーもない会話は場の空気を変える。
そこに人が集まってくる。
誰かと距離を縮めようと思うのなら、意気込まずに普通の事を淡々とやる事だ。
そんなちょっとした事だけで結構大きな変化が起きる。

参考までに。

人見知りを克服しないで克服する

昔から、極度の人見知りだった。

知らない人と会うと、カチンと固まり会話をする事が出来なくて悩んだ事もあった。

ある日から、人見知りである事を肯定するようになった。

すると、脳の神経回路が変わるのだろうか。人見知りである事がプラスに働くようになった。

例えばこんな感じに。

「いや、おれ、人見知りなんすよね…(苦笑い)」

「え。そうなんだ。」

「いや、そうなんすよ。初対面だと顔が固まって言葉が出て来なくなって、そんでへんな汗とかかきます。」

「え?そうなの?てか結構喋ってるよね。」

「いや、そうすかね。人見知りなんだけど、治ったんかな。」

と、これはあくまで一例。

人見知りであることを肯定するようになると、人見知りというコンプレックスを中心に話題が広がるようになり、いつの間にか人見知りでも別にいいか。的な考えに変わった。

自分の中にある欠点を肯定してみると、意外と大丈夫な事に気づいたりもする。

コンプレックスを肯定する。

非常に手先が不器用で極度に悩んでいた時期があった。

周りの人が普通にできる事が三倍くらい繰り返しやらないと全く出来なかった。

だから、自分なりに、不器用でもできるシンプルな方法とかをめっちゃ考えるようになった。

それを周りの人に教えたりしたらけっこう評判が良かったりもする。

あと、人の目が気になる。ってことでも極度に悩んだ事がある。

人の目が気になる。ってゆうのは、
言い換えると、「視野が広い」とも言える。
人が気づかないことにいちいち気づいてしまい、過度に自分と比べたりするからどうも自分が劣っているような錯覚に陥り、人の目が気になって動けないのだと思う。

だから、それを逆手に捉えた。

「人の目が気になるのはいい事だ!」
とある日から都合よく決めた。
すると、脳の神経回路が変わるのだろうか。
「人の目が気になる」というコンプレックスが良い方向に働き出した。

普通の人が気にもしていない当たり前の事とかに疑問を抱くと即座に聞くようにした。

「これってどうなの?」
「これ、やりずらくね?」

みたいに。やたら提案が上手くなった。

すると、周りの人もうすうす気づいていたような改善点とかが浮き彫りになってきたりして、割と評判が良くなった事もあった。

自分が抱えているコンプレックス的な物も否定せずに肯定すると割と流れが変わる。

嫌だなー。と思っている事を肯定してみよう。意外と簡単に流れは変わったりする。