地区二回戦負けだった貧弱な男が県の決勝まで上り詰めた話。

中学生の頃に、柔道を始めた。

父親が中学時代に柔道をやっていたという話を幼い頃から聞いていた。
幼い頃に、よく、相撲をしたり、ボクシングの真似っこをしたり、柔道をして遊んでいた。

本当はバスケ部とか、サッカー部とか、陸上部に入るつもりだった。
しかし、色々と見て回るうちに「先輩が怖そう。」「練習がキツそう。」「続けられるか不安」みたいな弱気が顔を出していた。
迷いに迷ってたどり着いた先は柔道部だった。あまり見たことのない光景で柔道着を着て汗だくになっている姿に、私は妙な高揚感を覚えた。

一般的な感覚だと、柔道というイメージは地味でダサくて臭そうで、パッとしない。そんな印象だろうか。

しかし、昔から人と同じ事をするのが苦手だった私は真っ先に柔道部に入部を決めた。

当時の私はひょろひょろで、確か162cmで、45〜6kgくらいしかなかったと思う。貧弱だった。

ガリガリな身体にブカブカの柔道着を着て練習をすれば、先輩や同級生にも簡単に捻り潰され投げられていた。

試合に出ても緊張して技も出せずに負け、中学三年生の頃の最後の大会では地区二回戦で簡単に負けてしまった。

悔しくていつも泣いていた事を覚えている。

周りの同級生は、それほど柔道に対する思い入れがあった訳ではなかった。
練習はテキトーにやって、試合で負けてもヘラヘラしていた。
何故か本気だった私は周りの同級生の態度があまり理解できなかった事を覚えている。
当時、謎に本気だった私は他の同級生と明確に違った事がひとつある。

それは「絶対に強くなる」という気持ちを持ち続けていた事だろうか。

私はとにかく強くなりたかった。
理由は今でもよく分からないが、何が何でも強くなってみんなを見返してやりたいという気持ちが人よりも強かった。

高校に入っても絶対に柔道部に入って絶対に強くなる。と心に決めていた。

しかし何も結果は伴わない。体力も実力も何もなかった。

高校に入って柔道部に入部した。
同級生は確か9名くらいいた。

同級生の強い奴にはボコボコ投げられて、先輩には奥襟を掴まれて身動きも取れずに毎日ひねり潰されていた。

気持ちは強くなりたいとは思っていても身体がついていかなかった。
パワーがないのか、スタミナがないからなのか、技が下手くそだからなのか。

初めの頃はパワーもスタミナもないし、技も下手くそだ。

練習では毎日捻り潰され、試合に出ても結果は出ない。
自分に問い続けながら、どうしたら強くなれるのかを毎日考えていた。

しかし、私には謎の自信があった。

結果はついて来なくても必ず強くなる。という根拠のない自信だけは何故かあったのだ。

そんな事をひたすら続けていて、努力と練習に対する姿勢が認められたのか、団体戦ではレギュラーメンバーとして起用された。

しかし、やはり実力は伴わずあまり勝つ事は出来なかった。
試合に出ると緊張してしまい身体が動かなくなる。そして技も中途半端だ。

気持ちだけが前に出ている。そして結果は伴わない。

そんなパッとしない時期がしばらく続いていた。

そんな私は試合があるの、同学年の県のトップクラスの選手はどんな動きをしているのかをよく観察していた。

見ていると、動きが軽やかで、いとも簡単に技を次から次へと繰り出し簡単に一本を取っていた。
この違いがなんなのか、私には分からなかった。

何故そんなに技が出るのか。
何故そんなに動きが軽いのか。
何故一本を取れるのか。

この違いが全く分からなかった。

当時の私がいつもなんとなく気になっていた事がある。
一本を取れない事だった。

しばらく試合に出続けるうちに勝率は上がっては来ていた。
しかし、
一本を取る事が出来ない。技も出ない。緊張する。

これまたパッとしない時期が続いていた。

今、客観的に当時の自分を振り返ると試合中にいつもこんな事を考えていた。

「投げたい。投げて勝ちたい。背負い投げで一本を取りたい。絶対に投げる。絶対に投げる。」

一言で言うと、【こだわり】だ。

一本で勝つ事と、投げて勝つ事に意識を集中させすぎて他のチャンスを逃していた。

そんな事を思えば思うほど、技は出なくなり、相手にも動きを読まれる。
そして、技を出せば中途半端な投げになり一本なんか取れる訳がなかった。

当時の私はその事に全く気がつかなかった。


そんな私にも転機が訪れる。

高校2年生の頃、ある試合に出た。

試合に慣れてくると、以前のような妙なこだわりは消え失せていた。
その代わりに確信のある、根拠のある自信が私を包んでいた事を今でもはっきりと覚えている。

ある瞬間、得意の背負い投げを放った。

パチーンと綺麗に一本が決まった。

その時は何故、一本を取れたのかは分かっていない。

一言で言うと、
「身体が勝手に動いた。」
そんな感覚だった。

今までパッとしなかった時期は身体ではなく頭で考えて試合をしていた。
「投げたい。勝ちたい。一本を取りたい。」という気持ちが強かった。
頭で考え過ぎているから身体が動かなくなるのだ。
その結果、技が出ず、勝ってもパッとしない結果に終わっていた。

しかし、見事な背負い投げでの一本を初めて決めた時の感覚はこうだ。

【何も考えずに技が出た】

思考を介さずに、身体が勝手に動くのだ。技が身体に染み込んだのだろうか。

勝手に身体が動いてしまい超納得の一本勝ち。

この日をキッカケに私の中の何かが変わった。

試合に出れば7、8割の確率で一本を決めた。
そして、変な試合をして負ける事もほとんどなくなってきた。

「相手を掴めば投げられる」

見事な自信が自分の中に確立した。

更にコツを掴んだ私は高校3年の最後の大会では県大会個人戦準優勝まで上り詰める事が出来た。

あと一歩でインターハイだった。惜しい(笑)

やはり頭よりも身体で覚える事だ。
私はこの事を柔道を通して学んだ。

この感覚の違いは、柔道に限らずあらゆる事にも言える。

頭で考え過ぎて何もできなくなるよりも
身体に任せて思い切ってやる。

思考を介さずに湧いてくる
「今だ!」
「ここだ!」という感覚。

極めて一瞬の感覚だが、この身体感覚を掴むことがあらゆる事の成功の鍵ではないかな。と最近考えている。

 

 

ノスタルジック忘年会。

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昨日は古いもの好きの先輩方と一緒に忘年会。

場所は谷中。

夜の谷中は人通りがとても少ない。
しかし、なんとも言えないノスタルジーな雰囲気が町全体を包んでいる。

とても不思議な町だ。

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お店は特に決めていなかったが、フラフラと歩いてなんとなく気になる店に入った。

海鮮居酒屋だろうか。

カウンター席のみの店内は三人入ればほぼ満員状態の狭さだ。しかし、その狭さがとても落ち着く。

店の中から外を眺めてもほとんど人は歩いていない。かなり隠れ家的な店だ。
しかもコスパが良く、料理も美味い。かなりの大当たりだった。

集まった三人は、古いものが好き。という共通点がある。LINEグループで普段ちょこちょことやり取りをしているが、会うのは半年ぶりくらいだった。

しかし、話は全く途切れないから不思議だ。

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話の内容は様々だ。
美味いベーグル屋の話。いらなくなった70年代のグラスのロゴの話。隠れ家的な名店の話。骨董市の話。古着の話。美術館の話。好きな町の話。オールドミュージックの話。レトロな喫茶店の話。LINEグループのメンバーの話。仕事の話。好きな風景の話。日本酒の話。これを飲むと悪酔いしてしまうんだよ的な話。路地裏の話。台東区の話。酉の市の話。

もう、次から次へと話が出ては止まらない。三人とも共通してノスタルジーな雰囲気が好きなので会話の雰囲気もゆるやかに流れて行く。

1軒目の料理が非常に美味だった。
マグロの脳天刺し、しじみの酒蒸し、エビの丸焼き、エリンギのチーズ焼き、鰯刺し、納豆厚揚げ、などなど、散々食って飲んで一人3000円弱だったから驚いた。安い。美味い。最高だ。

割と酔っ払いながら2軒目の店を探した。外は寒い。

去年見つけた根津にあるbarに向かった。
店内は70年代のレコードが流れているこれまたノスタルジックな雰囲気でスイカのカクテルが美味い事を覚えていたのでそこに向かった。

店の外からはなにやら歌声が聞こえる。

ライブだろうか。

店内を覗くと、狭い店内にかなりの人が入っており、ライブで満席のために入る事が出来なかった。

かなりいい雰囲気で、今度こそは絶対に行きたいと思う。ますますスイカのカクテルが飲みたくなった。

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仕方がないので、近くの店を探した。

路地裏にラーメン屋だとか、居酒屋、焼肉屋が点々とある。

中でも雰囲気のいいbarを見つけそこに入った。店内はカウンターとテーブル席が2つ。久しぶりにbarに行ったために、私は少しばかりドギマギした。

アメリカンな雰囲気の店内では80年代の洋楽が静かに流れていた。店の天井はヤニで黄ばんでいる。
個人的になかなか嫌いではない良い雰囲気を醸し出していた。

アメリカン風なbarなのに、なぜか牡蠣がおススメらしく、牡蠣鍋を三人で突いて食べた。なんと、抜群に美味い。大当たりだ。

どうせなら変わったお酒が飲みたい。という事でそれぞれちょっと変わった酒を頼んだ。

これまた美味だった。

2軒目でも相変わらず話は続いた。
あーでもないこーでもない。と三人でしゃべり続け気づいたら24時を回っていた。とゆうことで、今回はこの辺でお開き。

たまにしか会わないけど、こうゆう仲間を大切にしたいと思っている。

また飲みたいなぁ。

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ノスタルジックな夜だった。

 

人生の転機。

ふと、人生の転機について調べてみた。
人生の転機が訪れるとき何が起こるのか?こんな事が書いてあった。私自身の持論も交えて書いていこうと思う。

1.今まで興味があった事に興味がなくなる。

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これは、あぁなるほど!と思った。
人は、日々成長している。太ったり、痩せたり、シワが増えたり、年齢が増加したり。
とりあえず時が経つにつれて何かしらが成長している。
今まで興味があった事に興味がなくなる。というのは成長しているという明らかな証拠だと思う。
言い換えれば、視野が広がった。とも言うべきだろうか。
例えるならば、
猿から人間へと進化してきたように。
子供がハイハイから一人歩きをするように。
補助輪をつけて乗る自転車から補助輪なしで自転車に乗るように。

徐々に、その人が自由に動き回れるように意識が広がってきている証拠だと思う。

だから今まで必要だった事が必要ではなくなり、興味がなくなる。と思った。

2.会話が噛み合わなくなる。

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新しい物を見たり聞いたりすると、今まで信じていた事だけが正解ではない。と気づく事がある。

しかし、それを知らない人からすると、ただの怪しい話に聞こえたりもする。

意識の広さなのか狭さなのか、
視野の高さなのか低さなのか
よく分からないが、とりあえず今まで話していた人とは、話が噛み合わなくなる。そして、相手も自分に対して興味がなくなる。
同じ日本語を話しているのに、英語を聞いているような感覚だろうか。
とにかく何から何まで噛み合わなくなる。

古い考えに慣れ過ぎていると新しい考えに違和感を感じる。また、新しい考えに慣れてくると古い考えが鬱陶しく感じてくる。互いに似たり寄ったりだが、次に進むためには必要な過程なのかもしれない。

3.眠くなる。
転機が訪れるとき。やたら眠くなるらしい。
これはあまりピンと来なかったが、冬が明ける前の冬眠とでも言った所だろうか。
脳が一時、情報のシャットアウトを始めてその結果眠くなるのだろうか。
この辺はあまりよく分からなかった。

4.居心地の悪さを感じる。

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今まで居心地が良かったのに、居心地が悪く感じる。
興味がなくなる。会話が噛み合わない。眠くなる。と、くればやはり居心地も悪くなる。

運命なのか、宿命なのか、「ここではないよ!」と何かに導かれている。とでも考えておけばいいかもしれない。
私の場合、仕事を辞めて何をするかも決めていなかった時、実家に住んでいたのだが、まぁ居心地は最悪だった。
会話が噛み合うはずもなく、考えを分かり合える訳もなかった。

仙台から東京に出てくる時にはやはり不安もあったが、多分、あそこにはもう居てはいけないのだろうな。と心の何処かで思っていた。

人生の転機。というと大袈裟に聞こえるかもしれないが、今まで必要なものが不要になったり、環境が徐々に変わってきたりもするが、これも成長の過程と捉えてプラスに考えておけばいい。
止むを得ずに離れ離れになる事もあるが、出会いがあれば別れもある。
変わる事を恐れずに、人生の転機を迎えて頂きたい。

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力を抜く。

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最近は、力を抜く。という事についてよく考えている。

例えば、重たい物を持ち上げるときに手と腕に力を入れて持ち上げて見ると、なぜか疲れる。これは、腕の力しか使っていないからだ。

逆に、手と腕の力を抜いて、ダラーっとしながら身体全体で持ち上げると、重たいは重たいのだが、腕の力をほとんど使っていないから、身体にかかる負荷の量が身体全体でカバーする事ができる。
持とうとするのではなく、身体に持ってもらうイメージだろうか。
すると、重さの感じ方が変わってくる。

他には、物を探すとき。

見つけよう!見つけよう!と目を凝らして探すと恐らく視神経に力が加わり視野が狭まる。

だから、探すときも探そうとせずにボヤーっとその周辺を見て入れば視野は広がりすんなり見つける事ができると思う。
(時と場合による)

力を抜く。という事は案外できそうでできない事が多い。

コミュニケーションにしても、何か面白い話をしよう!しよう!と思うと、多分脳が萎縮する。

すると、やはりいい話題が出てこなかったりもする。
イデアにしても、信頼関係にしても、こうゆう文章を書くにしても良いものを書こう!だとか、良いところ見せてやろう!だとかいう無駄なチカラ(意識)が働いた時点でやはり本来のパワーは発揮されないと思う。

そんな事をよく考えている。

 

 

 

私が見つけた東京の楽しみ方。

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東京に来て、一年がたった。
東北の田舎育ちの私は、東京に対するイメージが渋谷新宿六本木麻布銀座などの高層ビル高級感が漂うイメージで、幼い頃から遠くにある憧れ的な場所だった。
しかし、いざ、行くとなるとなんだか物価は高そうだし、空気は淀んでいそうだし、人は多そうだし、金ばかりかかるイメージだった。確かに金はかかるが、そうでない場所もたくさんある事を知った。

今回は、私なりに見つけた東京の楽しみ方を紹介しようと思います。

1.都電

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私は荒川区に住んでいるため、駅の近くには都電が走っている。東京ならではの電車で、こじんまりとした見た目もとてもお洒落だ。JRや地下鉄では行くことの出来ないエリアには都電に乗って出かけることもある。下町を走る都電に乗ってふらりと旅に出るだけでもかなり楽しむことができる。

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神田川

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早稲田大学

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早稲田大学校歌。

3.ホームパーティ

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私の場合シェアハウスに住んでいることもあり、ホームパーティを楽しむこともよくある。地下のどでかいリビングを貸し切ってワイワイやったり、屋上でBBQをやったりすることがたまにある。

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炭火焼きが死ぬほど美味い。

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時期早めのBBQ。

 

街に出かけて遊ぶほかに家でも楽しめるのはかなり楽だし安心する。自分の家という感覚よりかは、どこかのホテルに毎日泊まっているような感じで毎日修学旅行的な雰囲気なのかもしれない。
ホームパーティは、みんなで割り勘にすれば一人当たり1000円程度でかなりの量を食べたり飲んだりすることもできるし、なによりシェアハウスは時間無制限で使えるので好きなだけ楽しむこともできる。様々な用途に対応できる万能な施設だと思います。

4.散歩

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東京に来てからいつの間にか散歩が趣味になった。散歩をするようになったキッカケは、以前住んでいたイタリア人女性に半強制的に歩かされたのがキッカケかもしれない。当時運動から離れていて体力が全くなかった私は歩くたびにヘロヘロだった。初めは苦痛で仕方なかったが、気づいた頃にはひとりで散歩に出かけるようになっていた。
散歩の度に新しい景色に出会う。
かなりシンプルな理由になるが、新しい景色に出会えることが散歩の魅力だと思います。

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猫にも会える。

5.祭り

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東京に対して祭りのイメージは全くなかったが、東京の祭りはかなりすごいと思う。初めて見た天王祭という祭りの神輿振りという伝統行事はかなりの迫力で見ているだけでハラハラする。

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私の住んでいる場所が下町ということもあってか、祭りの時期になると浴衣着物法被姿の集団をよく目にする。家の中にいても町には太鼓や鈴の小気味良い音が鳴り響く。更にはお神輿を担いで町を活気づける。
町のいたる所には提灯が飾られていて、短冊に願い事を書いて飾っている。風鈴の音や、笹の葉が揺れる音がとても気持ちいい。昼から路地にテーブルを広げて宴会をする人たちや、缶ビール片手に飲み歩く人も多い。私はその光景を見ているだけで「あぁいいなぁ。」と勝手に癒されてしまう。

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6.パワースポット巡り
今までパワースポットというものに全く興味がなかった。東京に来てからはパワースポットによく行くようになった。中でもオススメは谷中霊園

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かつて五重塔があったという敷地内には徳川家のお墓がある。
お墓というと、なにやら不気味な感じもするが、私の場合あそこに行くととても元気になる。たくさんの大木があり、風が吹くとマイナスイオンをもろに浴びまくることができる。超パワースポットだと勝手に思っている。敷地内にある小さな公園のベンチで腰掛けているだけで元気になる。(私の場合)

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これは余談になるが私の場合石を見ると心が落ち着くようで、石碑や墓石を見ていると勝手に癒されてしまう。多分谷中霊園にあるすべての石がパワーストーンなのだと勝手に思っている。

以上で私なりに見つけた東京の楽しみ方を終わるが、まだまだたくさんの楽しみ方があるとは思う。新たに発見があればまた紹介していこうと思います。

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人生をいじくり回してはいけない。

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最近、かなり疲れを感じていた。仕事が肉体労働な事もあり、それなりに体力は付いたが疲労感がいつも抜けなかった。
今週の土日は完全休養をしている。ほぼ、何もしていない。

肉体的な疲労は、精神的な疲労にも繋がる。逆も然りだ。最近、何故かあれをやらなければ、これをやらなければなどと、妙な義務感が私を襲っていて苦しかった。精神的な乱れを常に感じていた。こうゆう時に限って「こうゆう時はどうしたらいいんだ?」とか「何か解決策を探さねば!」的な窮屈な思考になりがちになる。

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精神的に乱れている時は、極力何もしないことが必要だと思う。

リラックスした状態は幸せな気持ちになる。日常にこうゆう時間がもっともっとあったら最高だよな。と一人思う。

 

人生をいじくり回してはいけない。

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ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる先生本。「人生をいじくり回してはいけない」実際本を読んだわけではないが(笑)本の題名が自分の中では衝撃だった。私はつい、目の前の現実に一喜一憂してしまい、あれこれ考えてしまう癖がある。この本をふと書店で見て「あぁ、俺は人生をいじくり回してたかもしれない。」とふと我に返った事がある。

余計な事は何もせずにやっていれば、うまくいっていたかもしれない事が多分誰にでもあると思う。つい、余計な事を考え過ぎてしまって、あれやこれやと手を出して、訳のわからないことになってしまった経験はないだろうか。私はいくつもある。

仮に、花を植えたとする。

早く成長させたい気持ちが強過ぎて水をやり過ぎたり、肥料をあげまくったり、根っこの部分に栄養剤をあげまくったりしても、多分ダメだ。いじくり回せば、枯れてしまう。花にも咲くタイミングがある。

自然の理に任せて、待つ。花が咲く事を見守る。そういった懐の深さが一輪の花を咲かせるのではないだろうか。長い目で、じっと成長過程を楽しむ。一度散ってもまた咲くのを待つ。ただ、それだけなんじゃないでしょうか。とは言っても待てないのが人間らしいところでもあるので、待てない時は待てない自分も可愛いな的な目線で見ると、待てない自分がひとつのギャグに変わる。

 

ブータンの話。

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心理カウンセラーの心屋仁之助さんがブータンに行った時の話がおもしろかった。
ブータンでは牛や豚が放牧されていて、路上で糞をするという。しかし、意外にも嫌な匂いがしないらしい。
その理由は余計なものを食べていないからではないか。という考察だった。

日本の牛や豚の糞は強烈に臭い。(勝手なイメージ)なぜなら、早く成長させるために餌を大量に食わせ、栄養価の高いものをバンバン食べさせるから成長は早いが、糞は臭いという。

早く成長させなければ市場に出す事が出来ない。
早く成長させなければ利益を上げる事が出来ない。

そういった日本の風潮がこうゆう現象を引き起こしているのではないだろうか。と、真面目に牛とブタの糞について語っていた。ブータンだけに(笑)

私はその話を鼻で笑いながら聞いていたが、「ああ、確かに!」と思った。キーワードが糞なところが笑えるところだが、様々なことに置き換えてみても同じような事が言える。

早く結果を出すために。早く儲けるために。早く納得させるために。もっと効率を上げるために。早く早く早く。もっともっともっと。と結果を急ぐあまりに、余裕がなくなり路頭に迷う。やはり何事にも余裕はあった方がいいし、遊びも必要だなぁと感じた。

自分を知る。

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(ひとり七輪)
こうゆうブログも、心と時間に余裕がなければ、やはり書く事が出来ない。あれやこれやと何かに追われていては自分が何を考えて、何を感じているのかすら把握ができなくなってしまうと思う。ブログを書く事は、自分を客観視する上でとてもいい手法だと思っている。誰に読まれるとか、何のために書く。とかは関係なく、とりあえず思った事を文章で書き出すように心がけている。ブログの利点は何より自分を知る事ができる。

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(鶏のムネ肉最高)

書き進めていると、書こうと思っていたこととは別の思考が湧いてきて、それを何故か文章にまとめている事が多々ある。普段考えていた事は一体何だったの。と疑問に思ったりもするが、私なりの解釈では思考を介さずに、「自然に湧いてくる心の声が本音なのだろうな。」と、勝手に判断している。

と、結局何が言いたいのかよく分からないダラダラブログになってしまったが、あまりに長くなってしまうので今日はこのへんで。

 

次回は台湾、猿島、三宅島。について、書くかもしれないし書かないかもしれない。

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まずはやってみること。

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今日何故か早朝の四時頃に目が覚めた。
とりあえずタバコを吸いに行こうとすると、リビングにシェアハウスの友人が座っていた。

暇だからシャドーボクシング

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彼の名前は名田さんという。彼は、昨日の夜中に無性にシャドーボクシングがやりたくなり、屋上で一人シャドーボクシングをやっていた。と話す。
私はそういった奇行をする人が好きなので話を聞いた。

名田さん「いや、なんかさ、無性にシャドーボクシングやりたくなってさ。屋上で昨日シャドーボクシングやってたんだよね!」

と楽しそうに話す。

彼はとても細身で身長は165〜6センチくらいの身長。フットワークが軽くシャドーボクシングがとても絵になる。ずいぶん前に西日暮里駅前を2人で散歩していた時にボクシングジムを見かけ、見学に行った事がある。

私はそれほど興味が湧かなかったが、彼は食い入るようにボクシングの練習風景を見ていたことを覚えている。
彼はシャドーボクシングについて語る。

 

名田さん「もし、路上で喧嘩になりそうだったら俺ならどうやって闘うかな?って考えながらシャドーやってたらなんか面白いんだよね〜」

 

軽いフットワークを刻みながら軽快にジャブをしている。私はそれを眺めながらタバコを吸っていた。

さらに彼は語る。

 

名田さん「もし、路上で絡まれたら相手も多分右構えだから左足が前に出てくるじゃん。だから、パンチと見せかけて相手の左足を取ったら勝機あるんじゃないかなー。とか考えながらやってるんだよね。」

 

考えるボクサーだ。

仮説を立てる。

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私は、学生時代に柔道部にいたため、格闘技の話になると、妙に血が騒ぐ。
相手と相対する時に仮説を立てながら試合を進めていくスタイルは私もよくやっていたので彼の話には共感ができた。

「こうきたら、こう。こうやったらこうくるかもしれないからこうしてこう。」

などと、一人でイメージを作り上げるのが楽しいのだ。それを試合や練習で試してみてだめだったら更に工夫を凝らす。その繰り返しが人を強くする。

名田さん「でもさ、相手の左足取ってから相手が上からこう来たらどうしたらいいか分からないんだけど、どうしたらいいかな?」

ただ、イメージにも限界がある。イメージでもよく分からないことは実際にやってみることだ。じゃあデモンストレーションやってみますか!的な話になり屋上で謎のスパーリングが始った。

 

名田さん「相手と向かい合ったらまずどこを見るの?」

私「まぁ、口元から手の位置あたりをボヤッと見る感じですかね?」

名田さん「ほう、なるほど。」

名田さん「じゃあもし俺がこう来たらどうする?」

私「こうですかね?」

名田さん「じゃあこう来たら?」

私「こうかな?」

名田「ほう。」

名田さん「じゃあこう行ったらどう?」

私「こう?」

名田さん「ほうほう。」

 

謎に楽しい。(笑)


名田さんはフットワークが軽くテンポが良い。かなりボクシングが向いてるのではないだろうか。スパーリングは更に続く。

私「じゃあ相手が柔道経験者の場合どうします?」

名田さん「いやー掴まれたら終わりだよね。」

私「じゃあちょっとやってみましょう。」

私「例えば首を掴まれたらどうする?」

名田さん「腰引くよね。」

私「でもそのままだと投げられますよね?」

名田さん「じゃあ無理矢理離れる感じ?」

私「そうっすね。間合いを切る感じでまずは首を掴んでる手を切る感じですかね。だからその場合は、こう。」

名田さん「おお!なるほどね!」

 

謎に楽しい(笑)

 

文章では伝わりにくいが、もし、相手に首を掴まれたらどうするのかを朝から謎にやっていた。ただ、意味もなく面白い。

相手と試合をする時に学生時代によく言われたのが「間合い」で、その話を名田さんに伝えた。

 

私「戦う時って間合いがすごい大事なので、自分なりの距離とかが掴めるようになると結構面白いと思うんすよね。」

名田さん「ほうほう。」

私「自分の間合いを取りながら相手に好きなことをさせない感じですかね。」

名田さん「なるほどね。」

 

距離感。

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しばらくこうゆう事から離れていたため忘れていたが、普段の人間関係などでも距離感は大事だなぁ。と最近は考えていた。

近すぎる距離では相手との会話が行き詰まってしまうし、遠すぎる距離でも会話が届かない。普段の何気ないコミュニケーションの中にも絶妙な間合いは存在するなぁ。などと考えていた。

あとは、多少のイメージも必要にはなるけれど、いざ何か行動を起こす時はやって見る事だなあと思った。想像力はあくまで頭の中でだけできる事であって実際に自分の身体を使って動く時には余計な想像は逆に不要になる。

まずは、やってみること。

それが大事だなぁ。とスパーリングをしながら考えていた。