才色兼備。 文武両道。 心技一体。

モテる男は押し引きが上手い人だとどこかで聞いた。
それを聞いた私は、「なんだか波みたいだな。」と思った。

あらゆることに距離があると思う。

物理的な距離。精神的な距離。

この距離感を掴める人は色んな場面で活躍できるだろうな。と考えている。

スポーツの世界でも、ただべらぼうに攻めているだけではダメだ。
攻めもあり、守りもある。
かといって守りに偏ってしまえば簡単に攻め込まれる。このバランスは非常に難しいが、相反する二つの要素を兼ね備えている人はやはり強い。

才色兼備。

文武両道。

心技一体。

一つの要素ではなく、あらゆる要素を上手く使い分けながら進む人は賢いと思う。

成功もすれば失敗もする。
賛成もあれば反対もある。
同意もあれば批判もある。

「失敗しないためにやる」わけではない。

成功するには失敗をどう活かせば上手くいくのか考えることだ。
非常に抽象的な話になってしまったが、そんな事をふと考えていた。

備忘録。備忘録。

デブの思考回路。

ずいぶん前にデブの思考回路について書いていたので今頃投稿。

 

太っている人が痩せたいと思ってもなかなか痩せる事ができない。

何故なら「私は太っていて当たり前」と思っているから。

それを変えるにはやはり自分の中の当たり前を変えるしかない。

意識の流れを変える事だ。

意識は常に流れている。

自分の意識を意識した事はあるだろうか。

朝起きて、鏡を見て、太っている自分に気づく。
そこで多分こう思う。
「あぁ、今日も太っているな。」

しかしここで気づいて欲しい。

これがデブの思考回路だ。

 

しかし、みるみる痩せる人は多分こう思う。

朝起きて、鏡を見て、太っている自分に気づく。
そこで多分こう思う。
「あぁ、今日も太っているな。」

ここまではただのデブの思考回路だ。

ここで流れを変える。


「あぁ、今日も太っているな。」
「ん?でもこれだけ贅肉があったら痩せたら相当凛々しくなるな。」
「痩せがいのある身体だ。」
「朝起きただけでカロリー消費してるからもう既に痩せてきてるな。よしよし。」

非常に違和感のある考え方かも知れない。
しかし、これを繰り返すのだ。
脳に言い聞かせるのだ。

すると、脳は痩せるような情報を集め始める。

こうゆう言葉を繰り返すだけで
「私は痩せる人間だ。」という設定がインプットされる。
しかし、言い聞かせるだけでは弱い。
これに行動をプラスするといいかも知れない。

多分色んな事ができる。

低カロリーで腹一杯になる食べ物を探す。
痩せたら着たい服を探す。
痩せたら出来そうな趣味を探す。
痩せて似合いそうな髪型を探す。
痩せて起きそうな出来事を探す。

とにかく理想の自分目がけて自分が喜びそうな出来事を探しまくる事だ。

この時点で痩せていないにも関わらずちょっといい気分になっているかも知れない。

喜びの波動は幸運を引き寄せる。

思ってもいない事が起きるかも知れない。

 

地区二回戦負けだった貧弱な男が県の決勝まで上り詰めた話。

中学生の頃に、柔道を始めた。

父親が中学時代に柔道をやっていたという話を幼い頃から聞いていた。
幼い頃に、よく、相撲をしたり、ボクシングの真似っこをしたり、柔道をして遊んでいた。

本当はバスケ部とか、サッカー部とか、陸上部に入るつもりだった。
しかし、色々と見て回るうちに「先輩が怖そう。」「練習がキツそう。」「続けられるか不安」みたいな弱気が顔を出していた。
迷いに迷ってたどり着いた先は柔道部だった。あまり見たことのない光景で柔道着を着て汗だくになっている姿に、私は妙な高揚感を覚えた。

一般的な感覚だと、柔道というイメージは地味でダサくて臭そうで、パッとしない。そんな印象だろうか。

しかし、昔から人と同じ事をするのが苦手だった私は真っ先に柔道部に入部を決めた。

当時の私はひょろひょろで、確か162cmで、45〜6kgくらいしかなかったと思う。貧弱だった。

ガリガリな身体にブカブカの柔道着を着て練習をすれば、先輩や同級生にも簡単に捻り潰され投げられていた。

試合に出ても緊張して技も出せずに負け、中学三年生の頃の最後の大会では地区二回戦で簡単に負けてしまった。

悔しくていつも泣いていた事を覚えている。

周りの同級生は、それほど柔道に対する思い入れがあった訳ではなかった。
練習はテキトーにやって、試合で負けてもヘラヘラしていた。
何故か本気だった私は周りの同級生の態度があまり理解できなかった事を覚えている。
当時、謎に本気だった私は他の同級生と明確に違った事がひとつある。

それは「絶対に強くなる」という気持ちを持ち続けていた事だろうか。

私はとにかく強くなりたかった。
理由は今でもよく分からないが、何が何でも強くなってみんなを見返してやりたいという気持ちが人よりも強かった。

高校に入っても絶対に柔道部に入って絶対に強くなる。と心に決めていた。

しかし何も結果は伴わない。体力も実力も何もなかった。

高校に入って柔道部に入部した。
同級生は確か9名くらいいた。

同級生の強い奴にはボコボコ投げられて、先輩には奥襟を掴まれて身動きも取れずに毎日ひねり潰されていた。

気持ちは強くなりたいとは思っていても身体がついていかなかった。
パワーがないのか、スタミナがないからなのか、技が下手くそだからなのか。

初めの頃はパワーもスタミナもないし、技も下手くそだ。

練習では毎日捻り潰され、試合に出ても結果は出ない。
自分に問い続けながら、どうしたら強くなれるのかを毎日考えていた。

しかし、私には謎の自信があった。

結果はついて来なくても必ず強くなる。という根拠のない自信だけは何故かあったのだ。

そんな事をひたすら続けていて、努力と練習に対する姿勢が認められたのか、団体戦ではレギュラーメンバーとして起用された。

しかし、やはり実力は伴わずあまり勝つ事は出来なかった。
試合に出ると緊張してしまい身体が動かなくなる。そして技も中途半端だ。

気持ちだけが前に出ている。そして結果は伴わない。

そんなパッとしない時期がしばらく続いていた。

そんな私は試合があるの、同学年の県のトップクラスの選手はどんな動きをしているのかをよく観察していた。

見ていると、動きが軽やかで、いとも簡単に技を次から次へと繰り出し簡単に一本を取っていた。
この違いがなんなのか、私には分からなかった。

何故そんなに技が出るのか。
何故そんなに動きが軽いのか。
何故一本を取れるのか。

この違いが全く分からなかった。

当時の私がいつもなんとなく気になっていた事がある。
一本を取れない事だった。

しばらく試合に出続けるうちに勝率は上がっては来ていた。
しかし、
一本を取る事が出来ない。技も出ない。緊張する。

これまたパッとしない時期が続いていた。

今、客観的に当時の自分を振り返ると試合中にいつもこんな事を考えていた。

「投げたい。投げて勝ちたい。背負い投げで一本を取りたい。絶対に投げる。絶対に投げる。」

一言で言うと、【こだわり】だ。

一本で勝つ事と、投げて勝つ事に意識を集中させすぎて他のチャンスを逃していた。

そんな事を思えば思うほど、技は出なくなり、相手にも動きを読まれる。
そして、技を出せば中途半端な投げになり一本なんか取れる訳がなかった。

当時の私はその事に全く気がつかなかった。


そんな私にも転機が訪れる。

高校2年生の頃、ある試合に出た。

試合に慣れてくると、以前のような妙なこだわりは消え失せていた。
その代わりに確信のある、根拠のある自信が私を包んでいた事を今でもはっきりと覚えている。

ある瞬間、得意の背負い投げを放った。

パチーンと綺麗に一本が決まった。

その時は何故、一本を取れたのかは分かっていない。

一言で言うと、
「身体が勝手に動いた。」
そんな感覚だった。

今までパッとしなかった時期は身体ではなく頭で考えて試合をしていた。
「投げたい。勝ちたい。一本を取りたい。」という気持ちが強かった。
頭で考え過ぎているから身体が動かなくなるのだ。
その結果、技が出ず、勝ってもパッとしない結果に終わっていた。

しかし、見事な背負い投げでの一本を初めて決めた時の感覚はこうだ。

【何も考えずに技が出た】

思考を介さずに、身体が勝手に動くのだ。技が身体に染み込んだのだろうか。

勝手に身体が動いてしまい超納得の一本勝ち。

この日をキッカケに私の中の何かが変わった。

試合に出れば7、8割の確率で一本を決めた。
そして、変な試合をして負ける事もほとんどなくなってきた。

「相手を掴めば投げられる」

見事な自信が自分の中に確立した。

更にコツを掴んだ私は高校3年の最後の大会では県大会個人戦準優勝まで上り詰める事が出来た。

あと一歩でインターハイだった。惜しい(笑)

やはり頭よりも身体で覚える事だ。
私はこの事を柔道を通して学んだ。

この感覚の違いは、柔道に限らずあらゆる事にも言える。

頭で考え過ぎて何もできなくなるよりも
身体に任せて思い切ってやる。

思考を介さずに湧いてくる
「今だ!」
「ここだ!」という感覚。

極めて一瞬の感覚だが、この身体感覚を掴むことがあらゆる事の成功の鍵ではないかな。と最近考えている。

 

 

自分らしさ。

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最近はけっこうな頻度で家の仲間とワイワイやっている。

私が引っ越して来たばかりの頃は、住民同士の関わり合いがなく、かなり冷え切っていた。

何故そうなっていたのかはよく分からないが仲が悪いよりも、仲が良い方が住んでいて安心すると思う。

住んでいる世代は20〜27くらいの世代が多く、みんな昔自分が悩んでいたような事で悩んでいる。

だけど、あまりアドバイスはしない。

金が欲しい。彼女が欲しい。楽な仕事がしたい。好きな事をしたい。

口にするのは簡単だがそれを行動に移す人はあまりいない。

私が25〜6歳くらいの頃は、お金があってオシャレだったらモテるだろ!的な変な考えを持っていた。

しかし、いくら金があろうが、高い服を着ていようがあまり人と関わりを持てた事がなかった。

ようするに、モテなかった。

多分、変にカッコつけすぎていたのだと思う。

美人すぎる女には近寄りがたいように、あまりにも自分を飾り立ててもあまり意味がない。

しかし、当時の自分にはその事実が全く理解が出来なかった。

いつも同じような事を考えてはどん詰まりしていた。

どうすればモテるんだ?
どうすれば上手く行くんだ?
どうすればなんかこう、いい感じになれるんだ?

と、よく訳のわからない煩悩に振り回されていた。

つまり自分のことがよく理解出来ていなかったのだと思う。

多分、何もかもが、人生のあらゆる事が自分を理解することから始まる。

そこから「自分らしさ」というものが醸し出されてなんとなくいい雰囲気が出てくるのだと思う。勝負はそこからスタートだ。

そのためにまずやる事は自問自答ではないだろうか。

自分は何が好きで、何が嫌いで、何に興味があって、何が出来て、何が出来なくて、何が得意で、何が苦手なのか?

自分を理解する必要がある。

 

すると、自ずと自分のスタイルが醸し出される。

自分に合った服、自分にあった話し方、自分に合った人間関係、自分に合ったテンション、自分に合った場所、自分に合った音楽、自分に合った仕事、自分に合った時間etc…

自分を理解すればするほど、しっくりした物や人や場所や出来事が何もせずとも勝手に引き寄せられてくる。

これは、間違いなく言える事だ。

すると、得体の知れない煩悩に振り回される事は自ずと減ってくる。
そして、自分にあった出来事が自然に緩やかに流れてくる。

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そんな事を、最近はよく考えている。

 

 

仲間。

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大晦日は忘年会。

昔からあまり友達は多い方ではなかったので、こうゆう特別な日に仲間と一緒にいれることがとても嬉しい。

2017年が終わった。
そして年が明けて、2018年がはやくもスタートした。
新年早々さっそく浅草寺にお参りに向かった。

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うちの家から浅草まではバス一本で20分程度で行くことができる。
下町を楽しむのにはかなりベストな場所に住んでいる。

去年は、大晦日の夜から3時間弱神社に並んで寒さに震えながらおみくじを引いた記憶があるが、極度の寒がりと並ぶの嫌い症候群のため、今年はそんな事をしないで済んだ。

大晦日や、元朝参りにはみんな特別な思い入れがあるようだが、個人的には寒いのを堪えてまでお参りに行ったり、無理矢理楽しみたいとは全く思わない。

結構ドライだと思う。

ただ、
クリスマスだ!とか
大晦日だ!とか
忘年会だ!とか

無理矢理理由をつけて酒を飲むのは好きな方だ。
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そして、飲むのは好きだがそれほど酒が強いわけでもない。

私は今年の2月10日で33歳になる。
シェアハウスの仲間は20代前半から20代半ばの比率が高い。

圧倒的におっさんの立ち位置にいる。

しかしみんな年齢がどうだ。とかいう妙な偏見がないためにみんなとても仲良くしてくれる。

若い世代の連中といると、色んな話が聞けて楽しい。

みんなそれぞれに漠然と理想を持ちながらも今できる事を一生懸命やっていると思う。

将来ビックになって、札束持ち歩いて買い物したい。
身体を鍛えまくってボディービルの大会に出たい。
世界中を飛び回って自由に生きたい。
結婚したい。
彼女が欲しい。
ヨーロッパに行きたい。
一人暮らしをしたい。
有名なユーチューバーになって好きな事で生きていきたい。
金持ちと結婚して幸せに暮らしたい。
早く日本語を覚えて仕事に就きたい。

日々の何気ない会話の中でみんなが話している事だ。

みんな大っぴらに声を張り上げて語るわけではないが、こうゆう夢をみんな持っているという事実に触れる事ができて私はいつも嬉しい気持ちになる。

私は、みんなの理想の話を聞いた時、否定しないように心がけている。

いいじゃん。絶対なれるよ。最高じゃん。と、背中を押す。

私もそれなりに理想はある。

ただ、それがどのようにすれば達成できるのかは分からない。
分からないけど、自分の理想も、他人の理想も否定しない。
常に肯定しようと思う。

できるよ。大丈夫だ。

と、なんの根拠もないけれど常に言う。

そして、いつも自分にも言い聞かせている。

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ナンパのコツ。

最近、仲間でナンパをしている。
彼女がいない男同士で、彼女が欲しい!出会いが欲しい!という友達がよくいるので街に繰り出す。

ナンパというと、非常に聞こえが悪いが、コミュケーション能力を高める上で非常に役に立つと思う。

ナンパのコツは、

「普通に話すこと」だと思う。

綺麗な女性や、可愛い女性は町を歩いていればいくらでもいる。

そこでコミュケーションを成立させるにはいかに高ぶらずに普通に話せるか?だと思う。

つまり平常心だ。

仲間内で話す分には普通に話せるのに、女性の前に立つと何も話せなくなる男性が自分の周りには多い。

私が思うに多分、気負い過ぎだ。

上手く話そうとか、一発で落としてやろうとか意気込むと話の話題は何も浮かんでこないと思う。

気負うと脳が萎縮するのだ。

だから情報が入ってこないし出て行かなくなる。

面接試験とかで緊張のあまり頭が真っ白になる状態に似ていると思う。

そうならないように、いかに普通に、高ぶらずに平常心を保てるかがポイントだ。

これまで4人の男たちと共にナンパに繰り出した。

トップバッターはいつも俺だ。

俺が声かけたらいってね?と約束をするも、4人中4人が1〜2時間くらい固まって動けなかった。笑

これを見てて、面白いなぁ。と思った。
4人に共通して言えるのが、やはり
「気負い過ぎ」だ。

当たって砕けてしまえばあとは勝手に身体が動いてくれるのを私は知っているが、そう簡単に動こうとはしない。

そしてもう一つ共通点があった。

 

選び過ぎ。
あの子は可愛くない。とか
あれはタイプじゃない。とか
あの人に声かけたら嫌な顔されそう。とか
いや、あの人はもう帰るから無理だ。とか
やらない理由を次から次へと集め出す。

本人は必死なのだろうが側から見ていると実に滑稽で面白かった。

ナンパなんて嫌われてナンボだし、バカにされてナンボだし、失敗して普通だ。

それでもめげずに声を掛けていればスーパーラッキーが訪れるかもしれない。

 

砕けてしまえばいいんだよ。どうせ死なないから。

 

無題

なんだか今日は気分が上がらない。
久しぶりに「誰とも会いたくないなぁ」という気持ちになった。

数年前に、人間不審になって引きこもっていた時期がある。
毎日、何をしていても嫌な気分から抜け出すことが出来なかった。
最近はそんな気分になることはかなり減ったが、疲れが出てくるとふっとそんな気分になることがたまにある。

今、そんな気分なのは、単純に筋肉痛のせいだ。

引きこもってみて、自分なりに分かったことがある。
自分が思うに、落ち込んだ気持ちを無理矢理上げたり、無理矢理希望を持って行動をするのは逆効果だと思う。

鬱病の人に「頑張れ」と言うのと同じだ。

当時の私は、凄い人に会うことや、上手くいく方法などを聞くことがとても辛かった。

ただ、そんなのどうだっていいから、寄り添ってくれる仲間が欲しかった。
励まして欲しいわけでも、何かが欲しいわけでもなかった。

ただ、隣に誰かがいて欲しかった。
だけど、誰かに会うのが怖かった事を覚えている。

元気が出ない時や、どうしようもない気持ちになる事は悪い事ではないと思う。

一度自分に向き合って、自分の中に入って行って深く自分を見渡すことが必要だと思う。

何もない日常を、ただ、生きているだけでもいいと思う。

夢も目標も別になくていいと思う。

なにかを果たす為に生まれてきたわけじゃないと思う。

何もかもが自由だ。

どんな自分でもいいのだと思う。

ダメならダメでもいいから。

自分らしく生きよう。

ふと、寝転がりながらそんな事を考えている。