今見ている現実が全て大嘘だとしたら。

顔の表情や、声の状態をリアルな人間の感覚に対し、言葉だけで100%表現する事は100%不可能だろう。

漠然とした理想を掲げ、なんとなくこうなんじゃないか。なんとなくこんな感じのような気がする。といった言語化出来ない物を人は信じようとはしない。

何を言ってるんだかよく分からん。
こいつは何を言ってるんだ。
あいつは頭がおかしい。
口だけ達者なヤツだ。

と、多くの人が言うかもしれない。

何故か?

言葉に縛られているからではないだろうか。

この世に生まれ、名前を授かり、ここまで生きてきた。こういう名前で、何月何日生まれで、血液型はこうで、親がいて、兄弟がいて、ここの学校出身で、仕事はこれで。

この世の全てに名前がある。じゃあそれは何故か?

区別するためではないだろうか。

あなたは男で、あなたは女で、
あなたは日本人で、あなたはアメリカ人。

言葉も非常に曖昧なもので、情報を伝えるツールでしかない。ただの伝達手段だ。

この言葉に慣れすぎている為に、言語化出来ないものを人は疑う。
そして、見えないものもやはり信じる事が出来ない。何故か。

認識が出来ないからだ。

目で見えるもの、自分の過去の情報にないものを人は疑い、恐れる。
しかし、逆に現実で全く見えないのに、それを強く信じてしまう事があるのは何故だろうか。

インフルエンザの季節や花粉の季節に症状が万延するのは何故だろうか。
目に見えないウィルスや粒子を恐れるのは何故だろうか。
季節に応じて必ずといっていいほどそれが流行する理由は何なのだろうか。


テレビ、新聞、雑誌、ニュース、過去の経験、友達の意見、家族の何気ない言葉

 

本来であればインフルエンザや花粉症などは起こらなくてもいい現象だ。この目に見えない粒子やウィルスを過去の惰性の認識からうっかり信じてしまい毎年のように流行が始まる。

目にも見えない、自分の感覚では捉える事の出来ないものを人は無意識に信じ込みインフルエンザという現象を引き起こしてしまう。

花粉症、病気、自己否定、恐怖、劣等感、自己嫌悪、恥、迷い

全てが全く曖昧で見えないものを勝手に信じなくてもいいものをうっかり信じてしまい自分の現実として現象化させてしまっている。これはある意味すごい事だと私は思っている。

---私たちは、目に見えない物を既に現実化させている。これは、まぎれもない事実だ。---

自分は何を信じていたいのか。
そもそも信じなくていいものを私たちは多く信じ込まされている。そんな事に最近気づいた。

今見ている現実が全て大嘘だとしたら
本当はどんな世界を創りたい?

いかにも本当くさい曖昧で真実ではない大嘘を多くの人がうっかり信じてしまい苦しんでいる。信じなくてもいい事を信じこまされている。

よーく見てみよう。それホントか?ウソじゃね?

あ、やっぱりウソね。

じゃあもう信じない!!

好きなものを信じて生きよう。自分の世界を再構築しよう!

決めた瞬間世界はきっと動き出す。

 

 

うっかり信じてしまった事。

はたから見て、超完璧で劣等感のカケラも見当たらない人も実はどこかで自己否定をしていたりする。
第三者からすると、どこをどう見たら自己否定してしまうのかわからない事がよくある。

どんなに綺麗でもカッコよくても金持ちでもどこかで自分を否定している。
だけど、やはりそれも長年刷り込まれてきた幻想を見ているに過ぎない。

親から言われてきた、学校で言われてきた、会社で、友達に、恋人に、親戚に

誰かが見た自己否定と言う名の幻想をうっかり聞いてしまい本当のものと勘違いしてしまっている。

うっかり自分を信じてみよう。

相手からの見方が変わる。

すると、自分に対する見方も変わる。

更に、自分に流れるエネルギーが変わる。

そして幻想を見なくなる。

 

すると、現実が動き出す。

行動ではなく、光動。

具体的に何かやりたいけど何をどうしたらいいのか分からない場合。
多分まだ動く時ではない。
具体的に何をするのか決めたり、考えたりするのもいいけど、それも自分の中ではちょっと違う。
そうゆう時ってあると思う。

何も考えずに
ふと目についたもの。
ふと思った事。

それが降りて来た時はきっと考える前に動いてる。

行動ではなく、光動。

光の速度で体が動く。

人の真似を辞める。

人の真似ばかりをしていると、自分が何者なのか分からなくなる。
人の真似なんかしなくていい。誰の言うことも聞かなくていい。
崇高な教えや、大金持ちの教えが今の自分に当てはまらなかったらそれはソッコー辞めること。
自分に問い続けるだけだ。

ますます不幸になるよ。

怒りの対処法。

感情にフタをするとあまり良くはない。

怒りに触れた時は思いっきり爆発させる。

・電柱に頭突きをする。
・俺は怒ったぞフリーザー!と叫ぶ。
・怒りのエネルギーを身体中に浸透させて髪の毛が逆立つほど怒る。

散々味わったらうっかり許したくなる。

無理して感謝したりいい言葉でごまかすよりよっぽどマシ。

真夏の祈り。

あまりにも病んでいた時に千日回峰行を万行した塩沼両潤先生の護摩焚きに連れていかれた。
お経を唱えながら、ひたすら火を焚き続け、お経を唱える。多分、あそこに来ていたほとんどの人が当時の自分と似たような境遇の人ばかり。

辛い。悲しい。助けてほしい。何をしたらいいのか。怖い。不安。

まぁ、もしくは結婚祈願とか安産祈願とか色々あると思うけど。

護摩焚きの最中はひたすら火を前にしながら全員で祈る。

確か真夏だったので、全員祈りながら汗だく。それでも祈る。

汗だくでお祈りが終わると塩沼両潤さんのお話が聞けた。

「生きていると色んな事がある。嫌な気分になることも良くある。だけど、そういう時は胸の中心に時計の針があると仮定して嫌な気分になったと自分で気づいたら、すぐに針を中心に戻す。私も嫌な気分になることがあります。だけど、そうゆう時にも心の針をいつも中心に戻すようにしています。それだけで人生が変わりますよ。」

当時は何を言ってるんだか意味が分からなかった。

だけど、自分の心の変化に気づき変えていくということがどれだけ大切なのか今の自分には分かる。

惰性の人生じゃない、意図的に人生を変える方法を汗だくになりながら教わった。

 

いい気分と嫌な気分の違い。

いい気分でいる時間が増えると
めっちゃ友達増える。めっちゃお金増える。何故か健康になる。ストレス減る。頭が整理される。悩まなくなる。人にハッキリ物事を伝えられる。トラブルがなくなる。嫌いな人がいなくなる。何故か奢ってもらえたりする。自信が持てる。物事を5個くらい同時にこなす事ができる。グッスリ眠れる。快便。肌のツヤが良くなる。痩せる。モテだす。才能が開花し出す。話しかけられる回数が増える。笑えるようになる。

一方

嫌な気分でいる時間が長いと
めっちゃ友達減る。めっちゃお金減る。何故か老け出す。ストレスまみれ。頭がごちゃごちゃ。悩みだらけ。人にハッキリ物事を伝えられない。トラブルまみれ。嫌いな人だらけ。何も買えない。自信が持てない。物事を整理できない。眠れない。便秘。肌が荒れる。太る。モテない。頭がボーっとする。誰とも話さない日が続く。笑顔を忘れる。

どちらも経験があるけど、両者の違いはエネルギーの違い。

良い気分は統合エネルギー。
嫌な気分は分離エネルギー。

ただのエネルギーの違い。

どちらも自由に選んで良い。