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moto blog

スピリチュアルとか、趣味とか、日常。

雄弁に喋れば喋るほど、慎重な君はまた身構える。

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今日、表参道を歩いていたら、ある男性から声を掛けられた。その男性は、芸能プロダクション関係者のようで、何やら熱心にいろいろと話していた。

私は、過去に詐欺にあった事があり、こういった類いの人間を見極める眼力はあるほうだと思っている。詐欺や、スカウトや、営業をする側の人間は、とにかく褒める。褒めて褒めて褒めまくる。その褒め方が自然であればいいが、なんとも胡散臭い褒め方をしてくる人間には、注意が必要だ。自分の事をを正当に見せようととする程に、その人の言葉の数は増える。これは、様々なことに共通しているように見える。

 

私は、芸能関連の仕事に興味があったので、とりあえず話はきいたが、雄弁に喋れば喋るほど、私は身構えていた。その胡散臭さは拡大して行き、それ以上話しを進めることはなかった。しかし、雄弁に喋れば喋るほど、身構えてしまうのは一体何故なのだろうか。本質に近づけば近づくほどに自信が満ち溢れる。そのひとの纏う空気感に包まれ、何故か、言葉の必要性は減る。私はそう考えている。

 

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これは、1つの仮説ではあるが、あの世と、この世での繋がり合いは、間逆に出来ていている。分かりやすく言うと、写し鏡のような構造をしているのではないだろうか。どうにかしようとすればするほどにどうにもならなくなり、どうにでもなれと一種の諦めに似た感覚で物事に臨めば、案外どうにでもなるものだ。
「こうしなげればならない。」「こうでなければ絶対に嫌だ。」という執着は、その人から発せらる願望を遠ざける。

こうでなくてもいいし、別にどっちでもいい。という一種の諦めは、全てを引き寄せるのだと思っている。

つまり、肩の力が抜け、リラックスした状態が最強なのだと思っている。こういった感覚的なモノを頭で考えても、絶対に分からないということも分かっている。多分、頭で考えている時点で、「こうでなければ」という執着が生まれ、現象を遠ざける。だから、極力考えてしまわないように、自分を緩く保っておく事がこれからの時代は、生きるヒントになってくるのではないだろうか。

 

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新橋の居酒屋。

 

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藤忍賢(Motokatsu Sato)
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