常識という名の、幻想。

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私は過去に6回ほど、職業を変えている。公務員からの転落っぷりも合わせて面白がりながら読んで頂けると、こちらとしても幸いです。

 

私は、10年間、陸上自衛隊に勤務していた。規則正しい生活に加えて、厳しい訓練や、災害派遣などもあった。3.11の東日本大震災でも、仲間と共に災害派遣に携わった。詳しい内容に関しては述べることは出来ないが、辛さの中にも楽しさもあり、それなりに給料も頂き、なにより国家公務員という肩書きがある事に、私は誇りを感じていた。

 

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入隊から7年目頃からだろうか、ちょうど25歳くらいの頃。周りが次々と結婚していき、家族を築いていった。規則に縛られてばかりの寮生活が嫌になり、結婚に逃げる。と言った具合だろうか。少なくとも、私にはそう見えてしまっていた。
周りが次々と結婚していき、家族を築いてゆく。親になり、一人の親として巣立ってゆく。少しだけ羨ましさを感じていながらも、当時の私は、この目の前の現実に疑問を抱くようになった。周りからは結婚を勧められた。「彼女いないの?」「結婚しないの?」「いい人いないの?」などと、毎日のように同じ事ばかりを聞かされ、正直なところ、「もう、俺のことはほっといてくれ!」という気持ちになっていた。

 

常識という観点から見ると、20代で結婚をして、家族を持ち、子を授かり、親となり、親も安心するだろう。一言でいえば、『順風満帆の人生』とでも言ったところだろうか。しかし、私には、どうしてもそうは思えなかった。定年後の自分を想像して見ても、このままその道を歩んで行った先に、何も面白さを感じなかった。そんな順風満帆みたいな、人と変わらないフツーの人生ほどクソなものはない。もう一度言うが、フツーほどクソなモノはない。私はそう思っていた。

 

当時の私は、真に、心のど真ん中から震え上がるように、心から望んだ人生を歩んでいる気がしなかった。ただ、惰性の人生を歩んでいる。周りと同じように、型にはまった、檻の中でもがいている、一言でいえば超フツーの人生の「味」しか知らなかった。その事実に気づいた私は気づいたら、自衛隊を辞めていた。端から見ると、嫌になって辞めたように見えるだろうか。それとも、自分の人生を切り拓いていくようにも見えただろうか。しかし、当時の私の心境としては、少しだけニュアンスが違っていた。言い方を変えると、「気づいてしまった」そんな感じだった。

 

何に気づいてしまったのかというと、
【もろに構造にハメられている】という事実に気づいてしまった。自衛隊内の結婚は、一般社会に比べ、たぶん早い。その早い理由として考えられるのは、規則の多さだ。とにかく面倒な規則が多く、嫌になって結婚に逃げ、子を授かり、結婚したからには仕事を辞めることが出来ない状況に追い込まれる。安定した職業とはいえ、家族を養っていくにはギリギリの給料だ。しかし、辞める事は出来ない。何故なら、周りが辞めないからだ。公務員だから。安定してるから。他に行くアテがないから。
ただ、それだけなのではないだろうか。
しかし、アテなど今の現代社会においてはいくらでも山のようにあるのだ。

 

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いつしか気づかずに、自分で自分の人生を決めつけてしまうようになる。肩書きにしがみ付き、安定という幻想にしがみ付き、周囲からの批判の声に怯えながらも、やりたくもない事を無理して続けるようになり、ストレスは溜まり、身体を壊し、精神が崩壊してしまう人間も少なくはなかった。安定にしがみ付き、安定を求めるが故に、心は不安定になっているのだ。

私はその事実に気づいてしまった。しかし、この話をしても、理解できる人間は皆無だった。何故なら、完全に洗脳されているからだ。以前ブログでも書いたが、脳は習慣の奴隷だ。という話を書いた。これが、典型的な例だと思う。

流されるように組織に入り込み、教育を受け、周りと同じような事を毎日のように行い、毎日のように組織の命令に従い、規則に縛られ、流されるように結婚をし、なんやかんやとやっているうちに気づいた頃には定年を迎え、訳も分からず再就職をし、現役の頃からの給料の差に唖然とし、自分の頭で何かを考える事が出来なくなってしまう。

 

確かに、流されているのは楽かもしれない。しかし、本当にそれが自分が心の奥底から望んでいる事なのだろうか?

これが国の策略ではないだろうかと、私は考えている。組織という構造へ招き入れ、餌を与え、十分に育て、用がなくなったら、定年退職。職業斡旋があるから、定年まで安心していられるなどといった都合のいい誘い文句に躍らせれていてはいけない。挙句の果てには、飼いならされた家畜には考えるという能力は備わっていない。何故なら餌を与えられるだけの、家畜だからだ。

 

しかし、これではマズイ。私はこの事実に気づいて欲しいと切に願っている。
私たちは、家畜ではない。人間だ。考える能力のある人間なのだ。自分で人生を切り拓いていける能力が誰にでも備わっている。いつまでも、国の言いなりになっていてはいけない。訳の分からない、焦燥感にかられながらも、人生を棒に振ってはいけない。一度きりの人生だ。

あまりに長くなってしまったので、続きはまたの機会に。

 

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セラピードック。やたらとデカイ。

 

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藤忍賢(Motokatsu Sato)
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