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moto blog

スピリチュアルとか、趣味とか、日常。

自分を見失っている人へ。

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もやし40円。豆腐40円。きのこ40円。ラーメンバラ売り50円。あまりの安さに嬉しくなってしまった。

私は、よくラーメンを食べるが、ラーメン屋で食べれば700~800円はザラだ。非常に手の込んだ作りで一時的に空腹は満たされるが、金はあっという間になくなる。しかし、自分で買ってひと手間加えるだけで、家で食べれば55円程度で済んでしまう。自炊の素晴らしさを改めて痛感した。

散歩のススメ。

最近は、電車やバスなどの交通機関を使わなくなった。2~3km程度の距離なら歩いていける。慣れてきたせいか、1時間程度歩いても何も感じなくなった。ほんのささいな習慣が人生を変えるような気さえしている。

ちょっとした買い物や、歩く事も、視野を広げる力がある。塞ぎ込んでいた心が一歩歩くごとに開いていく事を感じる。500円以内で買い物をするにはどうしたら良いか。と考えるだけで、ちょっとした買い出しも楽しくなる。たったこれだけの金額でこんなに買えた!と、つい嬉しくなってしまう。ただ歩くだけにしても、歩いていなければ見つけられなかった道や場所が必ずある。自分の足や、目で確かめる力が身につき、おまけに体力もつき、体も緩む。ついでに心も緩む。

こんなささいな日常の積み重ねが人生を変えるのだろうか。私はそう感じている。特に、朝晴れた日に歩くのは清々しく気持ちが良い。満員電車に揉まれる事もなければ、冷房に身体を痛めつけらる事もほとんどない。通勤に体力を奪われて疲弊する事もほとんどない。道の途中で見つける木や、太陽に照らされながら地面にうつる自分の影を見る事も、それなりに楽しい。

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何故か、異常なほどに肌のツヤが良くなってきた。

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散歩の威力だ。

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ちなみにこれは散歩の威力に気づいていない頃。ずいぶんと疲弊している。

(また登場したがる私。)

 

一時的な快楽の追求は、人間をダメにする。

日本はとても便利だ。特に東京はなんでも揃っていて、つい目を奪われてしまう。

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 一時的な快楽の追求は、人間をダメにする。もっともっと。と、喉から手が出るほど欲しくなり、枯渇感や欲求が常につきまとう。物理的なもので一時的に満たされたとしても、それが無くなった途端に虚しさが押し寄せてくる。心の隙間を埋めるかのようにキリがなくなり、疲れ果ててしまう。

ささいな所にいつも喜びは溢れている。ただ歩くこと。洗濯物を乾かすこと。太陽の光を浴びること。光に照らされ影が写ること。すれ違う人の笑顔に触れること。喜びを感じられること。生きていること。今日も一日身体が動いていること。

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何気ないささいな事にはなるが、いつも絶え間なく溢れている。いつも喜びは溢れている。

 自分のことが、わからない。

私は、10年間自衛隊で勤務していた。常に何かを求めていた。とめどなく溢れてくる虚しさや、苦しさや、窮屈さに耐えられずいつも酒を浴びるほど飲んでは身体を壊し、精神状態は常に荒れていた。日常の何気ない事に目を向けることなんて出来なかった。うまくいかない事があればすぐに人のせいにしていた。他人のアドバイスなどに耳も傾けずに殺気を撒き散らしていた。

気づけば、私は一人だった。

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俺は間違ってない。お前ら全員死ねばいい。こんなクソみてえな仕事やってる意味がわからん。死ね。死ね。クソが。クソ…

満たされない自分の状態に気づきながらも、どうしたらいいのか全く分からなかった。ただ苦しい。ただ辛い。摑みどころのない空虚感と、虚しさにいつも苛立っていた。

何がなんなのか分からなかった。 

今思えば、おそらく自分を見失っていたのだと思う。毎日繰り返される日常の連続の中で、私は疲弊していた。知らぬ間に自分を見失っていた。まだありもしない未来の事を考えすぎてはいつも不安を感じていた。勝手に不幸を感じていた。ただ、辛かった。私は、その原因が知りたかった。

何故、求めるのか。

自衛隊を辞めて数年間、様々な本を読み漁った。幸せとは。人生とは。成功とは。自由とは。人間とは。命とは。心とは。様々な本に様々な人の考えが散りばめられていた。読めば読むほど分からなくなり、考えれば考えるほどに、また分からなくなった。

私が師と仰いでいた方のセミナーに参加させて頂いたり、様々な方の話を聞いたりした。しかし、自分にしっくり来るような答えのようなものに辿りつけた事は一度もなかった。私の向上心の無さかもしれないが、何かを成し遂げたいという気持ちがそれほど湧いてこない事に気づいた。

ある日、人間が追い求めている答えだとか、真理のようなものには、カタチがまるでない事が分かった。漠然とした、幸せや、自由や、成功や、願いなどを掴もうとする事は到底不可能であり、空気を手で掴むが如く掴んではまた消える。掴んではまた消える。叶ったように見えた夢や成功も、得体の知れない、ただの幻想であるような気がした。

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とはいえ、私は何かを成し遂げた訳ではない。しかし、何かを成し遂げる事よりも、日常の生活の中に見つけられるささいな幸せをひとつずつ摘んで行くこともそんなに悪くもないような気がしている。

成功者と呼ばれる方や、抜きん出た才能で輝く人と会う機会もそれなりにあった。確かに凄いな!とは思った。しかし、光を浴びると同時に、強烈な影を背負っているように私の目には写った。果たしてそれは成功と呼べるのだろうかと、何も成し遂げていない身分でありながらも私は考えるようになった。

どれだけ多くの讃美を得ても、どれだけ多くの富を得ても、どれだけ多くの注目を得ても、それが大きくなるにつれて同時に背負う影もまた、大きくなる。私は、そんなのは嫌だなと思った。

どんな形でもいいから、自分自身が幸せだと思えればそれが答えだ。

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きっとそれで良いのだと思う。

 
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藤忍賢(Motokatsu Sato)

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