意味を求め過ぎると疲れてしまう。

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近所に図書館ができた。ここは5階のテラス席で、とてもいい場所だと思っている。最近疲れがたまっていて今日はひたすらに寝ていた。何もしない贅沢を最近は楽しんでいる。

なにもしない贅沢。

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今までは休みの日には何かしなければ!的な妙な義務感があり、休みなのに疲れていた。しかし最近は何もしない。
「何もしない。」という事がどれだけ贅沢な事なのか最近身に染みて感じる。何もしなければしないほど、ありのままの自分に戻る事ができる。
このテラスにはそれほど人はいない。心地よい風が吹いている。子供の笑い声が聞こえる。景色を眺める人々がいる。喉が渇いたのでドデカミンストロングをがぶ飲みしながらブログを書いているが、このなんの刺激もない穏やかな雰囲気をとても愛する事が出来るようになった。

純粋な存在。

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かなり話は変わるが、昔からおじいちゃん、おばあちゃんが苦手だった。苦手な理由は、まず、なにを話したらいいのか分からないし、話がそもそも通じないのが嫌だった。しかし、最近はおじいちゃんおばあちゃんの良さがようやく分かってきた。
私がおじいちゃんおばあちゃんが苦手だった理由は、あまりに純粋な存在であるからだと最近思った。苦手だった頃の私の心はとても薄汚れていて刺激ばかりを求めていた。何か面白い話をする事や刺激ばかりを求めていたからだと思う。おじいちゃんおばあちゃんといると、特に何をする訳でもない穏やかな雰囲気になる。その優しい空気感がとても苦しかった。
何かをしなければいけない。という義務感のようなものを感じる途端、私の心は狂い始める事に最近気づいた。「何かをしなければいけない」と思えば思うほど、何も出来なくなる自分にも気づいた。

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「何かをやりたい。」という気持ちを大切にしたい。

 

ストレスを溶かす。

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また話は変わる。周りを見渡すと疲れている人が多い。私も疲れていた。
人が疲れを感じるのは精神的な疲れが大半を占めていると思っていて、うちに溜め込んだストレスを外に発散する事が出来ないと人は疲れを感じる。
ストレス発散というと、やけくそのように聞こえるかもしれないが、イライラやムカムカを外側にぶちまけるのではなく、溜まっているストレスを溶かしてくれるような環境に身を置くのがとても良いと感じている。

最近の私のマイブームは
七輪、火を眺めること、路地裏めぐり、料理、アンティークショップ巡り、古着屋巡り、BBQ、ドライブ、肉屋巡り(ハチノスがオススメ)、古民家探し、都電、今川焼き、散歩、などとかなり趣味が増えている。日々に楽しめる事がないとやはり面白さに欠けるので、1日にほんの少しでもいいから自分の心が「いいな。」と思えることをできる範囲でやっている。

多分、どれも意味はない。意味はないけど私の心はこれらをやると喜び、高鳴る。だからあまり意味もなく、淡々とやっている。

喜んでも意味がない。

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大半の人は喜ぶことに抵抗を感じているのか、積極的に喜ぶことをあまりしないように見える。喜んでも意味がないと感じているのだろうか。
「お金を使わなければ喜ぶ事は出来ない」だとか、「一人でやっても楽しくない」だとか、「こんなことやっても意味がない」だとか、そういった「意味を求めすぎる」あまりに、自分の喜びにフタをしている人が多いような気がする。

「これをすれば何かの役に立つから。」とか「これをすれば得をするから。」とか「これをやっておけばお金になるから。」とか、あまりにも意味を求めすぎると、多分出口を見失う。これは、私が身をもって経験したから分かるのだ。
「これをすれば何かの役に立つから。」という理由は一見、正当な理由のように見えて、実は自分の首を絞めているのではないだろうか。
少し言い換えれば
「これをしなければ自分には価値がない」的な意味合いになり、出来ない自分を責め、傷つけることになる。もちろんこれは人によりけりだとは思うが、過去の私がそうだった。
一つ目標を定めたとしても長続きせずに飽きてしまう、諦めてしまう、辞めてしまう。その理由は多分、単純に【楽しくないから】だ。

仕事や人間関係にしても、うまくやらなければ!成長しなければ!的な義務感を背負った途端歯車は崩れ、前に進まない。
そうではなくて、「上手く行ったらラッキーだよね。」的な軽いノリで、楽に、楽しくやっていれば失敗してもそれほどダメージを受ける事はない。そもそも成功とかいう概念がないから自分が楽しければオッケーなのだ。
だから、少しハードルが高そうに見える事をやる時は自分に出来るウルトラ低いハードルを軽いノリでポンポン超えていけば意外とハードルは低かった事に気づくかもしれない。というかそもそもハードルなどなかった事に気づくかもしれない。だから、それほど意味を求めず、軽いノリでやった方が気楽に様々な事が出来ると私は思っている。 

私は、人が喜んでいる姿を見る事が好きだ。なんの意味もなく、ただ笑って楽しんでいる空気感が好きだ。だから、意味はなくとも、誰に相手にされなくとも、自分の喜びは大切にしていきたい。

めちゃくちゃなまとめになり、更にまだまだ書きたい事はあるが、今日はこの辺で。

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